分からず屋
アイスの話で思い出した。祖父と、祖母の話をしよう。深夜だし。
私は大学に出るまで父方の実家で育った。父方といっても都会育ちのみなさまみたいに「父方の実家」と「母方の実家」が対等にあるわけでなく、「実家」と「母の実家」みたいな関係性である。
これからするのはもちろん、「実家」の祖父と祖母の話だ。
祖父は寡黙で、職人気質で、測量士の仕事をしていた。だから祖父の部屋には不思議な道具がたくさん転がっていた。バカみたいにでかい金属製の三角定規や、三脚や、関数電卓、へんなレンズがついた金属の箱。祖父はかっこよかった。いつも付いて回って、何をしているのか教えてもらった。理解こそまったくできなかったけれど。
祖父はよくアイスクリームを買ってくれた。おみやげとして。前に述べたように私の好物はバニラ味のアイスクリームで、いつもピンポイントで超バニラ味を買ってきてくれた。幼い私はそれが嬉しくて、祖父の白いセダンの、控えめなエンジンの音が外から聞こえてくると玄関まで飛び出して迎えにいった。
祖父はまた、私の好みを的確に把握していた。アイスクリームのみならず、祖父の車の中には常にチョコレートが準備されていたし、たまに私の知らないお菓子をくれても、それらは全て美味しかった。祖父が好きだったのか祖父がくれるものが好きだったのかわからないが、たぶん両方だったのだろう。
対象的に、祖母は分からず屋だった。祖母はお喋りで、お喋りで、部屋にもたくさんの洋服と、バッグと、あと養命酒しかなかった。祖母の後ろにはついて回らなかった。
祖母もまた、私によくおみやげを買ってきてくれた。しょうゆ味のせんべいと、98円均一アイスの宇治金時と、サクレ。それから養命酒。
完全に祖母の好みだった。
我が家の冷凍庫には常にアイスクリームが蓄えられていたが、祖父の買ってきてくれるスーパーカップはすぐに私が食べてしまう。祖母の宇治金時は残る。スーパーカップは食べる。宇治金時は残る。たまに祖母が宇治金時を少し食べて、頭がキーンってなるからフタをして戻す。新しい宇治金時を買ってくる。
たまに祖父によるスーパーカップの供給が追いつかず、しょうがないから私は祖母の買ってきてくれた宇治金時のフタを開ける。
祖母の食べかけである。私はフタをし、冷凍庫にそっと戻す。
そんな繰り返しだった。祖母は自分が美味しいものは誰が食べても美味しいと信じてやまなかった。分からず屋である。養命酒も毎晩飲まされた。
「んめろ?(美味しいでしょう?)」
ゲロマズである。
そんな分からず屋の祖母ではあるけれど、大学生のいま、たまに仕送りが送られてくると嬉しくなる。こないだは落花生が箱いっぱいに詰まっていた。もちろん祖母の好物である。
お返しに、スーパーカップの超バニラ味を買っていってあげようと思う。