午睡の時間だぜ!
図書館にいる。
家だと筆が進まないどころかすぐに1日が終わってしまうからだ。のんびり鉛筆削ってるうちにバイトの時間になる。だから図書館に来た。何か変わると思った。
広い家か、もしくはまあ広い部屋に住んでいたら何事も捗るんじゃないか、と考えたりもする。思い出すのは実家のこと、実家は二階建てで、家屋も何棟かあって、もちろん広い。
部屋もいくつか自由にできるから、ある部屋に机だの椅子だの暖房だのを集めて、プチ書斎みたいなものを構築することだってできる。ご飯だって食べられる。作業をするには最高の空間だ。そんな環境なら捗らないはずがないじゃないか?
だから、作業が滞ると、まず実家に帰ることを考えるし、実際帰省するときには読むべき本だの課題だのをどっさり抱えて帰る。
そして一度も手をつけないまま東京に帰ってくる。
「今の自分」以外の自分が行動を起こしている様は、容易に想像できるし、誘惑してくる。将来の自分、明日の自分、図書館に行った自分。とにかく今と環境さえ違えば、そちらの自分はきっとうまくやってくれるはずだ、と。そういった夢想。
朝、寒い部屋、暖かい布団の中で、バッと飛び起きてエアコンをつけ、体を温め、活動開始する自分を想像する…うちにまた夢の中だ。そんなんばっかりだ。最近は着る毛布グルーニーとかいうのが欲しくなっている。毛布を着れれば自分はもっと活動的でいられるんだ、ちゃんとしたジャージがあれば走りに行ける、良いペンがあれば…広い部屋があれば…
起きて!!!!!!
誰だったか、頭の中だけですむことは「決意」と呼べないのだ、と言っていた。「決意」したなら、場所か、人か、いずれにせよ環境を変えて、初めて自分の行動が変わるのだと。
はあ確かにその通りだ、この人は良いことを言うな、おらも部屋で燻ってねえで図書館にでも行ってみるズラ、実家に帰ればなお良いズラ!
そして作業は進まない。
よろしいか、自分。環境を変えることは確かに大事だけど、環境を変えることは決意とは呼べぬのだ…先に頭の中で決意の前半を済ませてから図書館にいきましょうね。そんなことを雑誌棟でまどろみながら考えている。分かっているのに…分かっているのに…zzz